サービスのユビキタス化の弊害

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サービスのユビキタスさに甘えて、いつでも映画を見たい時に見れて、食べたいものを食べれる生活を送りつつあると、目の前で起こっていることの有限さや一回性を忘れてしまう。

イヴァン・イリイチは、テクノロジーが世に出て広まり始めて、人がそれを使いこなすことで人間の自由度が高まる段階を「第1の分水嶺」、そして次第に人がテクノロジーに隷属して、自由が奪われ始める段階を「第2の分水嶺」とし、この第1と第2の分水嶺のあいだにとどまることが大事と言ったらしいけど、情報やサービスの恩恵を受けれる機会がいつでもあることは、プレシャスであったものをそうではないものにして価値自体を相対的に下げてしまうのではないか?

映画で例えるといつでも映画を見れるようになることによって、映画を見る機会の自体が下がってしまうなど。

またそうなってくる反動として、消費者側と生産者側のコストバランスのギャップが生まれてしまい、クリエイターが生み出す物が下がってきてしまう問題点も出てきそうである。

そこでカウンタームーブメントとして、安易にコンテンツを消費しない&コンテンツと向き合うためにはじっくりと向き合うようにするなどが考えられるのだろうか。この辺のテーマは自分自身が制作物に対して深く楽しみ、良いものを良いと言えるようになっていくためにも引き続き考えていきたいです。